”体育”を考える [われ思う]
今日、画材を抱えた小学生の一団に遭遇した。
”スケッチ大会”とかそれに類する学校行事からの帰りだと思う。
私も絵は上手い方ではなかったが、スケッチ大会はどちらかと
言うと好きな方であった。
ところで、今日見かけた彼ら彼女らの絵も学校に帰って優劣を
つけられるのであろう。
”個性的な絵”を描く人や手先の器用では内人が”絵が下手”と
いうレッテルを貼られて、それっきり絵を嫌いになってしまわ
なければ良いのだがと思わずにはいられない。
私は体育やスポーツと言う分野でも同じように思っているところが
ある。
体育の授業と言えば、いろんな運動を行うが”競技”と言えば、
競技能力の向上だけが目的のように見えて仕方がない。
”体育”とは”physical education”の意訳であると考えられるが、
つまるとろ健やかな生活を送るにはどの様にすれば良いのかを
身体的な側面から教育する事であると思う。
この観点から行くと、それぞれの競技について言えば、”楽しく競技”
出来る程度の知識と技術が身につけば80%の成果があると思うし、
それで十分であると思う。
もう20%は、努力して勝つ喜びと努力する必要性を学ぶ事だと
思うが、これは必ずしも必要なことではない。
一番重要な事は、スポーツを楽しむ習慣を身につける事なのでは
ないのだろうか??
競技力一辺倒の行き過ぎた”教育”の結果、体育嫌いを生んだり
助長したりしてはならないと考える。
弓道やアーチェリーの競技者がインターハイや国体を必ずしも
目指している訳ではない。
人には人それぞれの目標があるのであるから、それに応じた努力をし、
指導者はそのサポートを行うべきではないのだろう。
ただ、どの道を選ぶにしても弓道やアーチェリーを”楽しむ”という事は
優先して教えるべきではないかと思う。
【念のために】
なお、念のために申し上げておくが私は競争を否定しているのではない。
学校体育における”過度の競争”及び”競技能力一辺倒の評価”に
対して、疑問を呈しているのと弓道やアーチェリーの練習の場に
おける各人の目標設定の多様性及び”楽しみ方”について論じている
つもりである。
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