アイソメトリック [われ思う]
その時に取り組んだ対策が“アイソメトリック”である。
私の場合は指の筋力が低下していると感じたものであるから、
指と前腕の筋力強化に
取り組んだ。人差し指と人差し指、中指と中指を引掛けて
左右にジュワ~~っ!!と引くのである。
日本語で等尺性の運動と言うが、短期間で筋力をつけるには
非常に有効である。
指の筋力を取り戻して気付いたのであるが、私の場合
“弓を引く筋肉”そのものが退化してしまっていた。
これを取り戻すには、数多く弓を引くしかない。
定期的に練習場を訪れて少しずつ矢数を増やそうと思う。
ただ、焦って矢数を増やそうとして結局はフォームを崩しては
元も子もないので慎重にやろうとも思っている。
今年の目標 [われ思う]
新年にあたってひとつ目標を立てて見た。
笑われるかも知れないが、今年の目標は“弓を引く時間を
確保すること”である。
日々、弓を引けている人たちからすると可笑しなことを
述べているように感じるかも知れないが、今の私にとっては
随分と実行可能性の乏しい目標である。
早速であるが、月曜日に仕事帰りに予約を入れて行って来た。
2時間の申し込みで、あったが折からの練習不足のため
1時間と少しでヘバッテしまった。
一生懸命に練習で来ていた3月までと比較すると随分と腕は
落ちているが、がんばればそれなりの腕に復活するのでは
ないかと信じている。
土日にゴロゴロしている時間があったらわずかな時間を
利用して練習に行かねばと強く思った次第である。
仕事と弓との狭間で [われ思う]
“こんな仕事辞めてやれ~~!!”なんて
衝動に駆られる事がある。しかし、私の優柔不断のお陰で
衝動が衝動で終わり、
大事に至ることはない。
ところで、仕事と趣味について考えて見たい。
弓を嗜む人の中には仕事以上に弓に対して情熱を傾ける
人がいたりする。
人様の事を非難できるような立場ではないが、あまり
お勧めできるものではない。
なぜなら、趣味はあくまでも趣味であり、生活の基盤が
整っていないと趣味は道楽と化すからである。
即ち日々の蓄えを食いつぶすような形で弓道(趣味)を
続けたり、仕事に集中しなければならないような時に
弓道の事で頭の中がいっぱいになっているようでは
健全な生活であるとは言えない。
仕事と趣味・・・
うまくバランスを保ちながら健やかな生活を送りたい
ものである。
小学校のクラブで四半的弓道を [われ思う]
小学校の高学年から“クラブ”の時間があったと思う。
私たちの学校では、いろんなスポーツや文化的な活動を
体験できたと記憶している。
そこで、そんな“クラブ”の選択肢に四半的弓道を
加えてはどうかと思う。
大弓弓道に比較して広い場所が必要でなく、防矢ネットの
類も必ずしも必要ではない。
また、学校の先生であればすぐに教えることができるように
なるだろう。
そう言う意味では指導者の養成も比較的に簡単である。
また、“弓道”と名が付く位であるのでそれなりの所作も
必要なのではないかと考えている次第である。
そうして小学校で四半的を経験した人たちが中学校や
高校で大弓に挑戦してくれたら弓道の底上げにつながる
のではないかと思う。
それから四半的弓道を嗜まれる高齢者と小学生が弓を
切っ掛けに交流してくれたら、これから先の高齢化社会に
少なからず良い影響を与えるものと信じるものである。
違いよりも共通点を [われ思う]
このブログのアクセス解析を見ていると、弓道とアーチェリーの
相違点を探ろうというキーワードが良く見られる。はっきり言うと
弓道とアーチェリーは違いばかりである。そもそも蒙古式と
地中海式と言う違いがある訳であり、細々と相違点を探らなくとも
根本的な部分で違うと言ってよい。
さて、非常に乱暴な展開であるが和弓も洋弓も弓である。
板状の物体の弾性を利用して棒状の物体を飛ばす競技に変わりはない。
そう言う意味では、蒙古式と地中海式と言う違いを超えて共通点が
あると言ってよい。問題はその飛ばし方と“弓”という道具に対する
思い入れの違いである。
お互いの違いばかりを探しているうちは何ら進歩はない。
お互いの弓の特徴を理解し、自分達の弓に応用すればブラッシュ
アップできるのではないのだろうか???
最近、そんな事を考えずにはいられない。
四半的弓道を体験してきた-3 [われ思う]
アーチェリーの練習にもアウトドアで練習する場合は、
アーチェリー場が必要であるし、インドアであっても
防矢ネットを張る必要がある。しかし、四半的弓道の場合は必ずしもこれらが
必要ではない。ミニ弓道だろうが何だろうが、弓は取り使い方を間違うと
これほど危険なものはない事は以前から述べてきた
とおりである。四半的弓道も同じであると思うが、実際のところ大弓や
アーチェリーに比較して随分と危険性は少ないと思われる。また、4間半(8m20cm)の距離が確保できるなら別に
体育館である必要もない。カルチャースクールのちょっと
大きめの教室や武道館の剣道場や柔道場でもできるのである。昨今、“ニュースポーツ”と称して様々な種目が登場して
いるが、“ニュー”とは言うものの随分と歴史のある種目も
見られる。四半的弓道も同じではないかと思う。“遊び”の側面もあるが“競技”としても随分と奥は深い。実際に体験して思ったが、“百射皆中”とかは意外と出来ないで
あろう。そう言う意味で“ニュースポーツ”としてもっと普及して
ほしいと思っている次第である。高校生弓道 [われ思う]
私の経験だけで述べるが、高校生弓道家は1年生の4月に
入部して3年生の7月の県のインターハイ予選で活動を
終える事が多い。
つまり、2年と3か月の活動である。この内にテスト期間や
夏休みに冬休みがあるので活動の期間は更に短くなってしまう。更には3年生の7月には集大成のインターハイ予選がある
訳で、それまでに満足のいく(悔いのない)射法を完成させて
おく必要がある。
だから、高校生には高校生用に工夫して2年で成果の出せる
練習方法が必要だと思う。
そして、高校生仕様の簡素化した射法が存在する訳である。これが“学生の射”と揶揄されてしまう背景であると考える。
この様に学校の先生方は弓道に対する敷居を下げ、間口を
開けようと努力して下さっている。
こんな先生方の苦労をどの位御存じなのか分からないが、
よくも批判できるものである。ただ、私には最近もうひとつの考え方がある。
高校生弓道家の全員がインターハイに参加したいと望んで
いる訳ではない。
また、社会人と同じような射法を高校生が2年間で学べない
ものでもない。
私は高校生仕様の射法を学んで社会人でも引いているが、
中には高校生時代から社会人と同じような射法を学んで
きている人もいる。“弓道は難しく習えばひたすらに難しくなる。”
しかし、論理的に分析して、構造的に習う事が出来るなら
そんなに難しい競技ではない。射法そのものを簡略化するのではなく、教え方を簡略化する
ことにより高校生でも対応できるような練習法を検討する
必要があるのかも知れない。その結果“学生の射”と揶揄されるような射法がなくなれば
この上ない。
ある4月の出来事-2 [われ思う]
弓道協会が弓道教室を行う時に服装を“動き易い服装”と
することが多い。
そしてこれは“スポーツウェア”と解釈される事が多い。しかしながら、弓道の初期の練習を行うのに何故に
スポーツウェアである必要であるのかが私には理解できない。確かに本格手に的前に立つころには、弓道技&袴位は用意して
頂きたいとは思う。
しかし、体験的な弓道教室などでは、安全上の問題を
クリアして華美な服装でなければどのような服装でも
構わないと思う。例えばボトムに関しては、半ズボンやタイトスカート以外は
特に問題はないと思う。
(女性のキュロットスカートなどは構造的に袴に近い。)
トップについても弓を持ち始めるとボタン付きは危なくはなるが、
初期の2~3回はどんな服装でも構わないのではないのだろうか?極端な話、男性サラリーマンが会社帰りにスーツのまま飛び込んで、
上着とネクタイだけ外して練習を始めると言うのもアリだと思う。と言うのも高校時代に私たちは、ボトムは学生服のスラックス&
スカートで、トップはTシャツで練習しており、何ら不具合を
感じなかったからである。
弓道場に着くなり、弓を張って上着を脱いでら、道場のシャッターを
開けて巻藁を出して射場の掃除を行うのである。
おまけに安土に水をまいて的付けも行うのであるから弓道技&袴より
学生服の方が随分と効率が良い。この種の事を述べると“学生の弓道”と批判する人が必ずいるものである。
重要な事は服装の問題ではなく、弓道の練習には弓を使用して体の
コントロールを覚えて行くことの方がより本質に近い事なのでは
ないかと思う。貴重な時間を捻出して弓道に挑戦して頂こうとしている方々である。
企画・運営する側もそれを配慮し、ひと工夫する必要があるのでは
ないのだろうか?
【再掲載】 生涯スポーツの王様 [われ思う]
以前投稿した記事のうち、思いの強い記事を再掲載する
シリーズ第3段
生涯スポーツの王様
ちょっとした身の上話になるのですがご清聴願います
(てか、散文をお許しください)
運動音痴の私が弓技に携わって、20年が過ぎました。
途中ずいぶんとサボっていますので、一生懸命に続けていれば
もっと競技力の高いプレーヤーになれたのかも知れません。
でも、その(サボっている)お陰で「弓技は何歳になっても始められるし、
途中何年サボっても復帰できる競技」だということを実感できています。
また運動音痴だからこそ長続きしているのでしょういわゆる
”体育会系”のクラブからみると、弓技はスポーツに見えにくいと言われます
しかし、実際には運動神経の優れた人が上達が早いですし、
筋力が発達したり、平衡感覚に富む人とそうでない人の競技能力は
一目瞭然です
そう考えると弓技は紛れもないスポーツ(競技)なのです
弓技は加齢と供に競技力が低下し難いという特徴があります
つまり、”引退がない”または極端に遅いと言い換える事ができるでしょう。
ゆえに私は”生涯スポーツの王様”と称しています
弓の必需品:損害保険 [われ思う]
しかし、和洋を問わず弓は狩猟の道具として、また武器として
発展してきた。
折に触れ述べているが、弓は安全な競技である。
しかしながらその安全は管理された安全であり、少しの気の緩みで
破綻しかねないものである。
弓の練習中の事故の特徴として、”滅多に起きないものの
いざ起こると死傷事故に繋がる”と言えると思う。
もし、私の不注意から友人の命を傷つけてしまったとする。
友人の家族はとても悲しむだろうし、何より友人はもう帰ってこない。
だからこそ、事故が起きないように万全を期す必要があるのであるが、
事故のリスクから目を背けてはならない。
端的に述べるなら金銭的な保障である。
もし私が事故を起こしたなら、命に比べて遥かに軽い金銭的は保証で
あったとしても、とても負担出来るものではない。
そこで登場するのが損害保険である。
”無保険者は決して弓を引いてはならない”
少し乱暴な言い方かも知れないが、私ははっきりと言い切りたいと思う。
つまり、保険に加入すると言う事は ”事故が起こる可能性”を
肯定しているのであり、常に事故が起きないように意識することを
意味している。
これに対して無保険者は、事故の可能性を否定しており、事故に対する
意識は非常に低いものであると考えられる。(少なくとも私はそう思う)
事故に対する補償の有無以上に事故に対する意識の違いは非常に
大きなものであると考える。
もっとも、保険金が丸ごとそのまま無駄になるように心がけたいものである。